強くありたいと願っても、弱さがあります。でも、大丈夫。
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私は、ミラクルエブリデイの創設者である友人のエリックの、弱さに対する正直さにとても感銘を受けました。彼の許可を得て、彼の葛藤について皆さんにお分かちします。
「若い牧師だった時、私は外見のことを気にし、心の内面のことを無視するという間違いをよく犯しました。しばしば祈れないことがありました。聖書を読むのは説教の準備をするためでした。
内側に感じるひどいストレスと虚無感を埋めるのに、私は自分の関心を異性に向けました。神様は私をとても大きな道徳的な過ちから守ってくれましたが、一度のみならず、心の中で姦淫の罪を犯したことがあります。長い間牧師になるトレーニングを受けていたにも関わらず、どうやって自分の内側に起こっていることを誰かに正しく打ち明けるか、誰も教えてくれなかったのです。打ち明けることのできる人は一人もいませんでした。
全てのクリスチャンが、内面の問題を抱えながら外見では何の問題もないかのように奉仕をするという危険を抱えています。私はもう二度と、外見だけのクリスチャンとして生きたいとは思いません。」
ありのまま、正直に本当の自分を出して生きることは何も悪いことではありません。かえって、そうすべきです。
私はダビデ王の記事を読んでホッとしました。ダビデ王は姦淫、殺人の罪で大きな失敗をしましたが、神の御心にかなった人と呼ばれたのです。あなたもダビデ王の様に祈ることができます。「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」(詩篇51:10)
神の御心にかなった人とは完璧な人のことでしょうか? いいえ違います。誠実な人のことです! もし私たちが自分の弱さを認め、受け入れる事ができたとしたらどうなるでしょう。神様の恵みが私たちのうちでもっと働くことができる様になるのです!
あなたが自分の罪を誰かに告白した時はいつでしたか。癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈ることを 聖書で勧められています(ヤコブの手紙5:16)
今日、悔い改めて誰かにあなたの罪を打ち明けませんか?
あなたの存在を感謝しています!