なぜ、主よ…なぜですか?
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「ミラクルエブリデイ」の読者から受け取ったメールやフィードバックから、おそらく誰もが何らかの形で、ある時点で葛藤を経験していることがわかります。多くの人は、なぜ神様がある状況を「許す」のか理解に苦しみます。ですから、使徒パウロの足跡をたどって、葛藤に対する聖書の答えについて理解を深める旅に出ましょう。
パウロは神様にあって多くの並外れたことを成し遂げました。彼は主への信仰、従順、信頼をもって歩みました。それでも、彼も多くの葛藤を経験しました…彼を苦しめた「からだのとげ」を神様は許されたことを覚えているでしょう。(2コリント12:7-10参照)
私たちの質問は、「なぜ、主よ…なぜですか?」。そして、この質問にまだ答えがないまま、その状況を理解することができないことで葛藤が伴うかもしれません。それで、今日は聖書からの鍵をみてみましょう…
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると 主は言われる。」(イザヤ55:8参照)
神様の考えは私たちのものとは異なります..神様は私たちのように考えも行動もしません。それで、あなたが理解できない方法で神様が働いている場合、あなたの運命は葛藤の中で生きることですか?それは望ましい人生ではありません。
では、解決策として、単にその葛藤を受け入れ、神様が私たちよりもよく知っており、常に私たちの最善のために働いていると自分に言い聞かせることでしょうか。
私たちの家にはルーシーという猫がいます。彼女は私たちの家族全員が12年間愛してきた三毛猫です。その12年のうち、私たちはルーシーを残し、多くの旅をし、米国で数か月または1年以上過ごしたこともあります。これはルーシーにとって非常に辛いに違いありません。彼女は私たちがいつ出発するのか、それが一晩なのか、それとも一年間なのかを決して知りません(これは猫にとって非常に長い時間です!)私たちがどれだけ彼女を愛しているか、そして私たちが旅をすることがどれほど重要かについて彼女に説明したとしても、彼女はそれを理解しません。これは私たちの神様との関係に似ています。神様がどれほど私たちを愛しているか、そして、遠くに思える時はどれほど重要であるかは決して理解しません。
あなたはこれを頭の中で理解できるかもしれませんが、あなたの心の中ではいかがですか? 確かに、それは簡単ではありません。しかし、あなたは自分の心が何を感じているかにかかわらず、信頼することを学ばなければなりません。これは信仰です。キリストにおいて生きることは、葛藤の囚人であり続けることを意味しないと私は信じています。私たちは主の御手に葛藤を委ねることができます。そうすれば、私たちは主の平安であらゆる状況を乗り越えることが可能です。
ですから、私の計画通り何も起こらなくても、私はまだ…
- 神様に立ち返り、
- 神様には特別なご計画があることを認識し、
- 平和を受け取り、
- 持っているすべてのものを神様に感謝し、
- 平静さをもって前進できます。
少し時間を取って、あなたの葛藤を神様の御手に解放してください…
あなたの存在を感謝しています!
証
「あなたからもらった素晴らしいデボーション。私に励ましが送られるたびに、驚きます。それで毎日少しずつ自分自身が養われます。あの美しい歌「みなさざけまつり」を聴いて、ここ3日間、ただ感嘆しています…「ささげます、主よ。すべてをささげます」..あなたが私に分かち合っているすべてに感謝します。私を毎日助けてくれます。神様の祝福がありますように。」(ローズ)