祈りは難しいことではありません!
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「イエス様についていく…今までにないほど」シリーズ
日本の歴史を振り返ってみましょう。神様に祈りを捧げると殺されかねないといった状態が日本では200年以上も続いた、ということを知っていますか。日本の隠れキリシタンたちは、何代にも渡って「オラショ」という祈りを捧げる正式な場所がありませんでした。そんな信者たちの幾人かにとって、茶室は最適な代行部屋となりました。茶道では、隔離された茶室に少人数で集まることができ、人目を避けて安全に礼拝することができました。お茶と和菓子が聖餐式のパンとぶどう酒の代わりとなりました。祈る時に使うロザリオを持っている信者はほとんどいませんでしたが、ある意味で彼らは自らの体にロザリオを持っていたと言えます。両手を組んで重なる親指を見下ろせば、そこに十字架を見ることができたのです。
そしておそらく、彼らはシンプルな祈りを心から捧げたことでしょう。
イエス様が弟子たちに教えた祈りとは、まさにそのような祈りなのです。その祈りを見てみましょう。
「父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。」(ルカ11:2-4)
この祈りはとても簡潔で短いことに気が付いたでしょう。複雑な概念や、特別かしこまった言葉は使われていません。ここでイエス様は教えています。祈りというものは、そのテクニックが重要なのではなく、今日の失敗、明日への恐れに正直に向かいながら、そのような問題を単純に簡潔に言葉に表すものなのです。ですから覚えていてください。祈りは簡潔にするのが良いのです。
では、この祈りの最初の言葉は何ですか。「父よ」― 原語では『お父さん』という子どもの呼びかけです。「天にまします我らの父よ」とまで言わなくても、ただ「お父さん」と親しみを込めています。イエス様の時代のエリートの宗教家たちは、神様に対して子どものように親しげにふるまうといった概念を嫌いました。
神様を「父」と呼ぶこと、これは祈るにあたって最初で最も基本的なステップです。それと同時に一番大切なレッスンかもしれません。それは私達が神様に属し、愛されている子どもという特別な関係にあることを明確に表しています。
また、「御国が来ますように」-これが最初の願いとなります。他のどの願いよりも最優先させるべき願いです。神様が人々の心の中で支配してくれて、それが広がって贖いの祝福がもっと多くの人々の上にあるようにという願いです。
神様の御手の働きを要するものって、どんなものがあるでしょうか。奇跡ですか? かなりのものを要します。祈りは天の御手を地上に招き入れますが、祈らないでいると、地獄の爪の侵入を許してしまいます。ですから、私たちはこの世界、周りの人々、文化、そして命のために祈るのです。
今日の問いかけ:あなたはこの世界がどのように変わるのを見たいですか。あなたの祈り方の中で、どんなところが変えられなくてはならないと思いますか。
今週、毎朝目覚める時、起き上がる前に、「主の祈り」を捧げることをお勧めします。「父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように」という最初の2、3節だけでも祈ってみてください。
一緒に祈りましょう。
「お父様、あなたはなんて素晴らしいお方なのでしょう! この世界はあなたの御手を必要としています。本当にとっても必要なのです。あなたとともに働かせていただきたいです。あなたは私がそうお願いするのを待っておられます。そして私が信じることを望んでおられます。この両方が出来るようになりますように。アーメン」
あなたの存在を感謝します!
アンディ美湖
この5つのディボーションはいかがでしたか? その内容はゴスペルベンチャーBook1から引用しました。さらに深く学びたいと思われるなら、次をクリックしてください。